夏休みの思い出

いつの間にか、明日で休みも終わり。思えば、ゆっくり過ごせたのは、火曜日の史跡巡りくらい。水曜日は、深夜バスと火曜日の寝不足が続いて昼間は寝てたし、今日は、土曜日の講義の課題を作成するためずっとパソコンに向かってた。。(夏休みの宿題!?)

火曜日の史跡巡りをまとめておかなきゃ。

岐阜城

火曜日は天気が良くて、暑くて、登るのが大変だった。JR岐阜駅に着いたのがAM7:20。前日の深夜23:45に東京駅からバスに乗って岐阜へ向かったが、クーラーの効きが悪くてぜんぜん眠れなかった。。でも朝からお城巡り。
JR岐阜駅からバスに乗って、岐阜公園前へ。そこからロープウェーで山頂へ。山頂から徒歩で岐阜城へ。歩いて15分くらいかかった。暑い、暑い。岐阜城の中は資料館になっていて、鎧やら刀やら見入ってしまった。天守閣からの眺めも良かった。暑くて大変だったけど、歴史資料も見れたし、眺望も良かったのでまずまず満足。「関ヶ原」ではいまいち目立たないお城だったのが残念。(というか、休館じゃなければ大垣城に行きたかったのだけど。)
斎藤道三織田信長のお城として有名だけど、最近は関ヶ原を読んでいるので、信長の孫、秀信が攻め入られたエピソードのほうが頭に浮かんだのでした。秀信は西軍で、池田輝政福島正則に攻められて開城した。
功名が辻ブームで、一豊と千代婚礼の地モニュメントが建ってました。

関ヶ原

関ヶ原は岐阜から長浜(米原方面)へ行く途中にある。電車から眺めると、田んぼと山しか見えなくて、電車もなかなか止まらなさそうだし、時間もあまりないし、降りるかどうか迷った。けど、せっかくだしと思い、降りた。でも来てよかった! しかも、関ヶ原の戦いがあった9月に来れた。(1600年9月15日だった。)
駅前も本当に何もない。駅前の観光案内所を訪ねると、2時間くらいで歴史民族資料館、徳川家康陣跡、石田三成陣跡を周ってみては?と教えてもらったので、そのルートで行くことにした。歩くと少し遠そうだったので、駅前でレンタサイクルした。コインロッカーすらないので、荷物はここに一時預かりしてもらった。

まずは歴史民族資料館へ。おっと、途中、東首塚にも寄りました。実は関ヶ原はまだ読み終えていなくて、最後にどうなったのか知らなかった。資料館にある音声と掲示板?の資料を見て、初めてどうなったのかを知った。時間が進むにつれて、それぞれの軍がどう移動するのかがわかるものだった。すごい人数の戦いだったのだと、すごいドラマのあった戦いだったのだと知った。西軍、東軍、反応(はんおう)軍、傍観軍に分かれてたんだ。。しかもこの陣形。この地でこんな大きな合戦があったのかと思うと、なんと言うか、歴史のロマンを感じた。
その後、最終決戦地、石田三成陣跡(笹尾山)へ。笹尾山の頂からは関ヶ原の盆地や周囲の山が見渡せる。石田三成もここに立って合戦を指揮したのか。松尾山(小早川秀秋)、桃配山(徳川家康最初陣跡)、南宮山の場所を見渡す。。ここで戦ったんだ。大一大万大吉の三成の旗が見えます。

お昼を過ぎていたので、お腹がすいていたけどお店がない。ローソンを発見したので、おにぎりを買って自転車に乗りながら田んぼ道を走りながら食べる。ほんと田んぼしかなくて、でものんびり気持ちよかった。最後に徳川家康最後陣跡を見て、関ヶ原を発った。時間があればもっとゆっくりしたかった。すべての陣跡を見て周りたかったな! 「関ケ原」の下巻の終盤を読んでいるところだったので、読みながら、山の位置、武将のいた場所を思い浮かべることができた。大谷吉継のお墓は拝んでおきたかった。

長浜城

関ヶ原から米原を経由して長浜へ。しかし一時間くらいで飽きてしまった。。山内一豊の屋敷跡(モニュメントがあるだけ)と長浜城しか見なかった。長浜城は歴史博物館になっていて、一豊・千代博覧会をやっているが、いまいち惹かれる内容ではなかった。やっぱり、当時の雰囲気というか、匂いというか、感じがしないとつまらない。
ちなみに、石田三成の生まれた石田町が近いらしく、長浜駅前には豊臣秀吉石田三成が出会ったときのモニュメントがあった。

史跡巡り、満喫しました。またどこかへ行きたい。明日、夕方の便で東京へ戻ります。